【第五球目】合理性と情緒の戦い

そう、交換日記という性質上、筆者がころころ変わるからね、タイトルの球数が漢数字が算用数字かで区別ついたほうが分かりやすいよね!

(偶然だった)

 

国家の品格

国家の品格 (新潮新書)

人の記憶というのは簡単に色褪せるものですね、これを読んだ中学生(?)当時何を思ったのか思い出せない(のざわくん、お手数でなければ読書報告書の記録をこちらによこしてくれないか、)

改めてざっと読み返してみると、無機質な合理性・論理性よりも心の在り方を大事にしたいと思わせてくれるものだな。これを数学者が語るというところが逆説的。

 

これはむらいが小学生のときの話だが、友人が言い放った一言があまりにも衝撃的で、今でも覚えているものがある。ゆとり教育の最中で、英語の授業が小学校で行われ始めた時期のこと。

「将来仕事とかで英語必要になるなら、日本人みんな日本語なんか話すのやめて英語を話すようにしたらいいのに。」

そうじゃないんだよ、日本人なのに日本語なんかっていうなよ、日本語が廃れていいわけない…

友人に対して言葉にできない憤りを感じつつ、でも確かに友人の言う通りかも、、と心の一部でそう思ってしまったことは否めず、そんな自分にも驚いた。

これぞ合理性と情緒の戦い。かもしれない。

のざわくんなら、むらいのこの友人に対してなんと言って反論するだろうか?

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さて近頃は関東近辺はなかなかに涼しい日が続いていますね。

また暑い日が戻ってきたときの体調管理がミソですね。

冷やし甘酒がのざわくんに未知なるパワーをもたらさんことを。

 

 冷やしあめはwikipediaによると関西に広まっている暑気払いの飲料だそうですが、むらいは関東のどこかの駄菓子屋でも見たことあるぞ。。生姜湯みたいな感じ。甘くてピリッとさわやか、よきこと。

桜南 ひやしあめ (あめゆ) 190g 缶×30本

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最近考えていること、のざわくんは「社会人になってからもドイツ語を続けることについて」か

>「生きる目的以外で外国語を学ぶことの意義についてどう考えますか。あと日本語についてどう思っていること!どういうところが好きか~とか。」

この問いに対して。

 

言語というのは、抽象的なイメージを固定し、同じ言語を用いる他者とイメージを共有するものだと思うんだ。

同じ言語とはいえ、それを習得してきた背景が違うと一つの言葉について個々が持つイメージは多少異なり、その差異を許容するような柔軟性を持つ。

だからドイツ語を学習するときは、ドイツ文化やドイツ人の考え方も学ぶことになる。そしてドイツ人の心の中にあるイメージを自分の中にも作り上げることができたなら、その人の日本語は、それまでよりいっそう、言葉に幅や深みを持ってるんじゃないかな。

それで感動するのが百人一首。五・七・五・七・七の限られた言葉で、情緒豊かなイメージを想起させる。一つ一つの言葉が深みを持っていて、二重の意味を持たせることもある。単純に言葉の響きがいいところも好き。

のざわくんの一番好きな一首はなんですか?

 

p.s.のざわくんの描くアイコン、心待ちにしていますよ

 

今回は変に深夜テンションが入って硬めな内容になってしまった、でも考えるのは楽しかった

むらい

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前回の記事はこちら↓

nozawatomurai.hatenablog.com