【第九球目】まだ夏!?
今日はとても暑かった、
今年は夏とか秋の境界線がごちゃごちゃになっている気がするなぁ
夏があんまり暑くないのは過ごしやすくていいのだけどね
数少なかった夏日に撮った写真をば。
夏休みに行った東京・奥多摩の写真。
青くて広いいい空だなぁ。雲もこうもくもくとして、夏休みって感じ。
奥多摩で何に急かされることもなく自然の中でのんびりするのは、それはそれはいい時間でした。
ざーさんというあだ名、斬新でよいね!ザーサイっぽいというのは否定できない、、(´ε`)
ざーさんの日記にはたくさんの本の紹介が載っていて、ざーさんの読書力(?)に驚かされる!
そういえば、森見登美彦さんの「夜は短し歩けよ乙女」に、古本市の神様が出てきたけども、本と本はつながっているというようなセリフがとても素敵だった。うろ覚えだけど(汗
今手元にないのが惜しいなぁ、もう一回読み直したい。
残る言葉、残らない言葉の話。 流行り言葉はすぐに廃れてしまうよね。言葉にも賞味期限があるみたいに。
「言葉の賞味期限」って味のある表現ね!
残らない言葉ももちろんあるけど、変化してそれが残っていくこともある。たとえば「ら抜き言葉」は、今の時代だと人によっては正しくない、崩れた日本語だって意見を持つ人もいる。でも言葉は流動的なので、多くの人が一般に使うようになったらそれを正式な表現とする、というのをどこかで見た。ら抜き言葉を悪とする文法大切勢と、ら抜き言葉を擁護するら抜き勢との「ら抜き戦争」、結末が見たい!
話し言葉が、世代によって違うのはなぜなんだろうね。というよりかは、同じ世代なら、住む場所が離れていてもある程度話し言葉のレベルが同じ、というのがおもしろい。テレビやSNS、学校などで共通語ができていくんだろうな。
身近に起こったこととしておもしろかったことがある。
一年前くらいに大学のサークルの友達の一部が内輪で「マ!?(マジで?)」という言葉を使い始めたなぁ、ノリってすごいなぁと思っていたら、それが最近見たテレビ番組で「高校生の間で流行っている言葉」として紹介されていて、「マ!?」と思った次第で。
言葉の伝播ってすごいですね。特に最近は電波に乗せることができるから。(なんちゃって)
でも自分の祖父母を見ていると、丁寧な言葉遣いだなって思うことが多々あるので、今の若者世代がおばあちゃんおじいちゃんの年齢になったときに「ワンチャンあるっしょ!」なんて使っていたら世も末。。
本屋さんをぶらぶら。私は表紙やあらすじを見て決めてしまうなぁ。ネットの口コミも見ようとはするのだけど、たくさんの人の意見があってそれを読むのに疲れてしまう。
森見登美彦さんの古本市の神ではないけれど、一冊の本から何かゆかりのある次の本へ、その次の本へとつなげていくような読み方をしてみたいものです。
戦争文学、なかなか気軽に読めるものではない。
実際に起こった出来事を通じて強烈なメッセージを発するもの
戦争文学には、過去にあった大きな理不尽が描かれている。そこからは、戦争を繰り返してはいけないというメッセージもあるし、戦争だけでなく大きな理不尽なことが今もあり、そこから目を背けてはいけないよというメッセージも受け取れるんじゃないかと思う。
多和田葉子さん、書いてる本のタイトルが素敵。それすなわち表現の仕方が素敵なので、中身の文章も読んでみたいなぁ
作者によって、文章のスタイルというか形式が異なる、特におもしろいなと思ったのはこちら↓
記憶の中では一文がとても長いような気がしていたのだけど、青空文庫 (著作権の切れた小説を無料で公開しているサイト) で読み返してみるとそんなにでもなかった。
アイコン、とてもかわいい!
書いてくれてありがとう。
ブネトちゃん、健在ですね。
さりげなく「む」と「の」って字が入っているのもよきよき。
私は小学生のときはひたすら鬼ごっこしてましたね、、休み時間になるとすぐ校庭に出て行って。
1年生から6年生までがひしめく校庭の中で、そのうち勢力ができてきて。手打ち野球勢力、一輪車や竹馬勢力、ドッジボール勢力、鬼ごっこ勢力、、、それぞれがお互いの領地(?)を侵犯しないように気を使って遊んでいた。
勢力といっても、そのときどきで自分がしたい遊びに加わるだけなんだけどね。だから鬼ごっこも、知らないうちに違うクラスの子も加わっていたり。自己紹介なんかしなくても仲間って自然に認めてたりしたなぁ。
ざーさんは小学生時代、どんなことをしていたのかな。
習慣があるっていいですね。
生活が安定する、ような気がする。
私は小さなことを毎日続けるのが苦手だな。
ぼちぼち長くなってきたので、旅行の話はまた今度。
旅行、楽しんで~!
むらい