【第10球目】夕飯がおでんだった

記念すべき10回目の投稿ですよ!続くものだな!

これからも投球数増えていくのが楽しみね。

とはいえ無理はいけません、お互い何かと忙しいだろうしゆるゆると続けていきましょうね。

 

奥多摩の写真とっても素敵!

山と空と雲、手前は湖?最高のロケーション…

こういう景色を定期的に摂取したいものだね。

景色を摂取というのも妙な表現だけれど。

 

言葉のはなしの続き。

やっぱり「通じる」言葉が世間一般的に「正しい」とされるのではないかな。

とはいえ難解四字熟語のような普通の人は知らない「正しい」日本語が存在するのも確か…。言葉の世界も年功序列というか、昔からある言葉の方が偉いというか地位が高い印象がありますね…。そんな昔からある言葉が「老害」として扱われ消えることがないよう祈るばかりです。

祈るだけじゃだめか!積極的に色々な言葉使っていきたいね、それが語彙の増強にも役立つのだろうねきっと。

以前、大学の授業で教授が「この作家のことをある作家は蛇蝎のごとく嫌っていて…」と言ったとき、急いで手元の電子辞書のキーを叩いた記憶がある。

ダカツノゴトク…一体どんな字を書くんだ!?

恥ずかしながら知らなかったのです。

そしたらなるほど、へびとさそりね!わかりやすいなあ!といたく感動した。

新しい言葉を知る瞬間というのは本当に楽しいね。

きっと大人が若者言葉を知るときも同じようなことが起きているんじゃないかな。

由来とか起源を知って、なるほどなあと。で、自分も使ってみたくなると。

まあ私は説明されてもいまいちワンチャンの意味を把握しかねるのですが…。

高齢者になってまで「ワンチャンあるっしょ!」というフレーズを使うシチュエーションがなかなか思い浮かばないのだけれど、まあ昔を懐かしむためのひとつの道具として記憶の隅に留めておくのはいいかもしれないな。

 

谷崎潤一郎の小説を挙げてくれたことを大変嬉しく思う。

谷崎の『細雪』が私は日本文学の中で一番好きだよ。確かに一文が長い。しかし分かり易く美しい。

春琴抄、読んだ覚えがうっすらとしかない!ドイツ行くときのお供に持って行って読もうかな。

 

私の小学校時代か。けっこう活発に遊んでいましたよ。

友達相手に先生ごっこするのが好きだった…。

その頃は学校の先生に憧れていたもので。

この間小学校の同窓会をやったときに一番仲良かった子に

「よく先生になって勉強教えてくれたよね」と言われてなんだか恥ずかしくなった。

 

自己紹介なんかしなくても仲間って自然に認めてたりしたなあ。

すごくわかりますこれ…。同じクラス、同じ学年、同じ学校、とにかく共通点の見つけ方がえらくざっくりしていたよね。むしろ共通点なんて必要なかった、一緒に遊んで楽しければそれでよかった。

成長するにつれて、「自分が遊んで楽しい人はどういう人だ?」というようなことばかり考えるようになってしまったなった。共通点探しに必死。共通点のない相手ならば最初から眼中にないなんてことも。

そういう視点をもたない人、小学生のときのような誰とでもとりあえず関わってみるという感性を失わない人が、大人になっても豊かな人間関係を築いているのだろうな。

見習いたいものです…。

 

さて少し急ぎ足でここまで書き連ねて参りましたが、明日の朝は4時前起床なので

そろそろ失礼したいと思います。

前回の私の記事で、更新遅くなると告知したけれどなんとかなりましたね。

週末からこの三連休にかけて毎日バイトだったのだけれど、今日やっと最終日を終えて少しほっとしております。

卒業旅行という目標があると思えばそこまで苦ではないのだけれど。

 

ではここらへんで!

特にお題は投げないのでフリートークでお願いします!

 

 

のざわ

 

 

前回の記事はこちら↓ 

nozawatomurai.hatenablog.com

 

【第九球目】まだ夏!?

今日はとても暑かった、

今年は夏とか秋の境界線がごちゃごちゃになっている気がするなぁ

夏があんまり暑くないのは過ごしやすくていいのだけどね

 数少なかった夏日に撮った写真をば。

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夏休みに行った東京・奥多摩の写真。 

青くて広いいい空だなぁ。雲もこうもくもくとして、夏休みって感じ。

奥多摩で何に急かされることもなく自然の中でのんびりするのは、それはそれはいい時間でした。

 

ざーさんというあだ名、斬新でよいね!ザーサイっぽいというのは否定できない、、(´ε`) 

ざーさんの日記にはたくさんの本の紹介が載っていて、ざーさんの読書力(?)に驚かされる!

そういえば、森見登美彦さんの「夜は短し歩けよ乙女」に、古本市の神様が出てきたけども、本と本はつながっているというようなセリフがとても素敵だった。うろ覚えだけど(汗

今手元にないのが惜しいなぁ、もう一回読み直したい。

 

 

残る言葉、残らない言葉の話。 流行り言葉はすぐに廃れてしまうよね。言葉にも賞味期限があるみたいに。

 

「言葉の賞味期限」って味のある表現ね!

残らない言葉ももちろんあるけど、変化してそれが残っていくこともある。たとえば「ら抜き言葉」は、今の時代だと人によっては正しくない、崩れた日本語だって意見を持つ人もいる。でも言葉は流動的なので、多くの人が一般に使うようになったらそれを正式な表現とする、というのをどこかで見た。ら抜き言葉を悪とする文法大切勢と、ら抜き言葉を擁護するら抜き勢との「ら抜き戦争」、結末が見たい!

 

話し言葉が、世代によって違うのはなぜなんだろうね。というよりかは、同じ世代なら、住む場所が離れていてもある程度話し言葉のレベルが同じ、というのがおもしろい。テレビやSNS、学校などで共通語ができていくんだろうな。

身近に起こったこととしておもしろかったことがある。

一年前くらいに大学のサークルの友達の一部が内輪で「マ!?(マジで?)」という言葉を使い始めたなぁ、ノリってすごいなぁと思っていたら、それが最近見たテレビ番組で「高校生の間で流行っている言葉」として紹介されていて、「マ!?」と思った次第で。

言葉の伝播ってすごいですね。特に最近は電波に乗せることができるから。(なんちゃって)

でも自分の祖父母を見ていると、丁寧な言葉遣いだなって思うことが多々あるので、今の若者世代がおばあちゃんおじいちゃんの年齢になったときに「ワンチャンあるっしょ!」なんて使っていたら世も末。。

 

 本屋さんをぶらぶら。私は表紙やあらすじを見て決めてしまうなぁ。ネットの口コミも見ようとはするのだけど、たくさんの人の意見があってそれを読むのに疲れてしまう。

森見登美彦さんの古本市の神ではないけれど、一冊の本から何かゆかりのある次の本へ、その次の本へとつなげていくような読み方をしてみたいものです。

戦争文学、なかなか気軽に読めるものではない。

実際に起こった出来事を通じて強烈なメッセージを発するもの

 戦争文学には、過去にあった大きな理不尽が描かれている。そこからは、戦争を繰り返してはいけないというメッセージもあるし、戦争だけでなく大きな理不尽なことが今もあり、そこから目を背けてはいけないよというメッセージも受け取れるんじゃないかと思う。

 

多和田葉子さん、書いてる本のタイトルが素敵。それすなわち表現の仕方が素敵なので、中身の文章も読んでみたいなぁ

作者によって、文章のスタイルというか形式が異なる、特におもしろいなと思ったのはこちら↓

 

記憶の中では一文がとても長いような気がしていたのだけど、青空文庫 (著作権の切れた小説を無料で公開しているサイト) で読み返してみるとそんなにでもなかった。

 

 

アイコン、とてもかわいい!

書いてくれてありがとう。

ブネトちゃん、健在ですね。

さりげなく「む」と「の」って字が入っているのもよきよき。

私は小学生のときはひたすら鬼ごっこしてましたね、、休み時間になるとすぐ校庭に出て行って。

1年生から6年生までがひしめく校庭の中で、そのうち勢力ができてきて。手打ち野球勢力、一輪車や竹馬勢力、ドッジボール勢力、鬼ごっこ勢力、、、それぞれがお互いの領地(?)を侵犯しないように気を使って遊んでいた。

勢力といっても、そのときどきで自分がしたい遊びに加わるだけなんだけどね。だから鬼ごっこも、知らないうちに違うクラスの子も加わっていたり。自己紹介なんかしなくても仲間って自然に認めてたりしたなぁ。

ざーさんは小学生時代、どんなことをしていたのかな。

 

習慣があるっていいですね。

生活が安定する、ような気がする。

私は小さなことを毎日続けるのが苦手だな。

 

ぼちぼち長くなってきたので、旅行の話はまた今度。

旅行、楽しんで~!

 

 

むらい

 

【第8球目】読書の秋

最近はちょっと暑い。今日も30度近くまで上がるみたい。

けれど爽やかな朝だな、やっぱり真夏とは違う。

すっきり晴れた青空が嬉しい朝だ。

 

うた恋い!なんだか懐かしい。

平安時代を舞台にした漫画はこちらもおすすめ。絵もいい。

 

応天の門 1 (BUNCH COMICS)

応天の門 1 (BUNCH COMICS)

 

 

 

残る言葉、残らない言葉の話。

流行り言葉はすぐに廃れてしまうよね。言葉にも賞味期限があるみたいに。

確かに、文献には残ってないけれど存在した話し言葉ってたくさんありそう。

方言とかもそうじゃないかな。

あと今はもう存在しない職業で使っていた言葉とか。

 

今使っている話し言葉に関しては漫画がいい資料になるよね。

メディアが発達しているぶん、データが膨大過ぎて調査したり分析したりするのは大変そう。

 

話し言葉というと、どうしても若者言葉の印象が強い。

私と親の話し言葉はやはり多少違う気がする。世代共通の話し言葉ってなんだろうな。

「ポチる」とかはみんな使う言葉なのかな。そこらへんの意識調査も面白そう。

 

最近の話し言葉は昔から使われている言葉を省略したりちょっと改変したようなものがほとんどだから

ベースとなるもともとの言葉に対して「ちゃんとした言葉」「乱れていない言葉」、そして今の話し言葉に対して「美しくない言葉」って印象を持ってしまうのは仕方のないことだよね。

たくさんの言葉を知って使い分けられることが一番だなと思うよ。言葉の柔軟性や多様性がなくなってしまうのは寂しいし。

とはいえ私も「ワンチャンあるっしょ!ウェイ!」って言葉が残るのかなと思うと複雑な気持ちにはなる。

 

本を読むとき選ぶ基準について。

私は本屋さんでぶらぶら歩き回るのが好きだから、そのときちょうど目に入った本を選ぶことが多いかな。新聞の広告や書評、雑誌の紹介やネットの口コミなんかも参考にしたりもする。周囲のひとのおすすめも聞いたり。

本を読むのも一期一会、か。とてもいい考えだ!!

良い本に出会ったときの喜びは格別だよね。

読んだのは半年以上前だけれど、印象深い一冊があるので紹介します。

 

収容所(ラーゲリ)から来た遺書 (文春文庫)

収容所(ラーゲリ)から来た遺書 (文春文庫)

 

 『収容所から来た遺書』、シベリア抑留の帰還者たちの証言をもとにしたノンフィクション。教養とは何か、生きるとは何か…。心に強く訴えかけるものがある。

非常に文学的なこの作品が実体験に基づくものであることを思い出すとき、戦争文学の意義がひしひしと感じられる。なにかあるメッセージを伝えるために出来事が語られるものと、実際に起こった出来事を通じて強烈なメッセージを発するものと、小説には2種類あるように思う。私が文学を思い浮かべるときはたいてい前者なのだけれど、戦争文学は後者なのではないかな。

ちなみにこれは父親に勧められて読みました。

 

カフカ!ドイツ文学ですね。『変身』は短編でありながら様々な解釈があり読みごたえのある作品…。私もドイツ語では読んだことがない。

カフカは『変身』以外にも色々書いているよね。

 

 ↑これ以前買って変身だけ読んで放置していた気がするのでまた読もうと思う。

(編者の多和田葉子さんてひとがこの前会ったときちょっと話した私が最近読んだ本を書いたひとだよ↓)

 

献灯使 (講談社文庫)

献灯使 (講談社文庫)

 

 

確か変身は中学のとき授業で取り扱ったんだっけ?

中高時代の国語の授業、また受けたいなあとときどき思う。

高3の『高野聖』の授業、受験で休んだために途中から受けられなかったのが残念だった。

 

愛称について。

むーちゃんかわいい!それにする!

私は…ざーさん、とかどうでしょ。ザーサイっぽい!??

 

アイコンについて。

お絵かきソフトのライセンス契約が切れてしまっていて、やむをえずスマホのアプリで描きました…。とりあえず!とりあえずです!

ごめんそのうちもう少しマシなのに変えます。

このアイコンのキャラクターは「ブネトちゃん」といいまして、ブタとネコとトラをかけ合わせて生まれた、当時小学四年生ののざわによるオリジナルキャラクターです。

トラ要素どこやねん!て感じですけれど手足と尻尾がトラ柄なんです。

…ふつうに恥ずかしいわ!!!!!!!!!!

むーちゃんの小学校時代の話とか聞きたいですね。

 

豆乳を毎日飲んでいるのですがもうアマゾンで定期購入してしまおうか悩み中。

毎回1ヶ月分注文するのが面倒になってきてしまった。

飲み始めてから調子が良い気がして、やめるのがこわい。

依存するものがまたひとつ増えてしまったな。

飲まなくても平気だと思うのだけれど、習慣ってやつだね。

 

9月もそろそろ半ば、来週は旅行するので私の更新少し遅くなります、ご了承ください。

 むーちゃんは旅行どうだった??

 

 

本の話が多かったので記事のタイトルもこうなりました。

 

 

のざわ

 

 

前回の記事はこちら↓

 

nozawatomurai.hatenablog.com

 

 

 

【第七球目】一期一会

外を歩くと日差しはあるけれど風が涼しくて気持ちのいい今日この頃。

夜になると肌寒くて、布団にくるまってぬくぬくするのが大好きなんですよ、

 

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言語を学ぶモチベーション、明確なものがあるとよいよね。

その国の人と友達になってやりとりしてると、必要に迫られていろんな表現調べるし(体験談)

 

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 のざわくんの好きな百人一首

白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬき留めぬ 玉ぞ散りける

少し肌寒い風が足元を吹き抜けていくようなイメージがわく・・・

 

「つくばねの~」も好きだけれど、見返してみれば

君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな

これもよい。

前にこのシリーズ読んでたなぁ。昔の人の生活や価値観は今とはずいぶん違うけど、だからこそ想像力(妄想力?)がかきたてられるのかな。

 

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日本語の話、少し流れは変わるのだけど、昔話し言葉で使っていた言葉が今では古典文学として勉強されているのだから、今使われている話し言葉も数百年後とかには語尾とか変わっていて、今の言葉が勉強されたりするのかな。

もしくは歴史の中で残る言葉、残らない言葉があって

後世に残るような媒体に記されていなければ残らないのか。

そうだとしたら昔の言葉で、みんな使っていたけれど書物には残らなかったから消えていった話し言葉などあるのだろうか。。

今の話し言葉ではあまり美しくないようなイメージの言葉もあるので、あまりそういう言葉が残っていってほしくないなぁとか思ってしまう。

 

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JPIC YOUTH主催、NewsPicks編集長の佐々木紀彦さんの講演「世界で戦うためには何が必要か」:

いいイベント見つけてきたな!

こういう場に行くと、考える機会をもらえるね。

むらいも積極的に探していきたいな!

 そしていろいろな本を読むのも、考える機会との出会いだね。

しっかし本はたくさんあるからね、どの本を選ぶか、それも一期一会。

のざわくんは、本を読もうってなるときどんな風に選んでいますか?

 

※一期一会、よく知らずに「一生に一度の出会いだから大切に」という意味だと思っていたけれど、本当は「二度とはないかもしれないという覚悟をもって接せよ」という意味まで含むという。wikipediaに出てくるし、きっと一般常識ですね。勉強不足勉強不足。

本は現物が側にあれば、いつでも読み返すことができる点で、「二度とはない」というところと相違あるかもしれないけれど、読む人のそのタイミングでその本を読む、そして何か気付きを得る、そういった体験はやっぱり一期一会なんではないかと思う。15歳のときに読む本と、30歳のときに読む本では同じ本でも感じることが違うよね。

一期一会は、もともと千利休が発したというのを弟子が書物に残し、さらにその後井伊直弼書物にその言葉を記したことから広まったそうな。井伊直弼の著書はこちら↓

 

とはいえ、一生の中で読める本は数多くある本の中で一握り。

どんな本を読む / 選ぶかは、その人が望んでいる生き方を表している、と思うんだ。実際にどんな生き方をしているかとはまた違うけれどね。だから、「最近どんな本読んでるの?」って聞くことで、その人の内側を少し知ることができるんじゃないかと思う。

蛇足だけれども、「変身」とその著書フランツ・カフカに関して。カフカの著書は奇想天外な話があるけれども、カフカ自身は生真面目な生活を送っていたそうです。カフカは物語に、現実の自分ではありえないようなイメージを求めたのでしょうか。

ちなみに「変身」の日本語訳では、主人公が変身したのは巨大な毒虫となっているけれど、原著では「Ungeziefer(害獣のこと、語源は”汚れてしまったので生贄にできない生き物”)」となっているそうで。Ungezieferの持つイメージに、言葉っておもしろいなと思いました。(読書感想文かな?)

ドイツ語は読めないので原著で読むわけにはいかないけれど、原著で読めたらおもしろそうだなぁ。

変身は短くて読みやすいので好きです。

 

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 ~愛称をつけてみよう!?~

むらいに関してはむーちゃんとかどうですかね。

のざわくんはどうします??のっくん、のざざざ、、???

 

先日差し上げたお米、ミルキークイーンはなかなか自分では買わないからな、いつか食べてみたいと思う。

 

そして食欲の秋!

この秋にしたいことですか、

うーん、オンオフの切り替えをしっかりして、食べ物も読書も楽しみたいかな!

街歩きもよいね、涼しくなってきたことだし。

 

昨日は外に出たときにできた蚊にさされに残暑を感じました。

 

 

むらい

 

 前回の記事はこちら↓

nozawatomurai.hatenablog.com

 

【第6球目】my favorite season

いや~、涼しいと日常生活において一挙一動に伴う疲労度が断然違うね。

大好きだよ、秋

 

てなわけで8月末は気怠さゆえに暇さえあれば寝ていましたが

最近はわりかし元気です、過ごしやすい気候で何より。

早く温かい甘酒が美味しい季節やってこないかしら…

寒すぎるのもそれはそれで億劫ですけどね、朝とかお風呂入るときとか。

 

さて以下は前回のむらいくんの記事より抜粋。

同じ言語とはいえ、それを習得してきた背景が違うと一つの言葉について個々が持つイメージは多少異なり、その差異を許容するような柔軟性を持つ。

だからドイツ語を学習するときは、ドイツ文化やドイツ人の考え方も学ぶことになる。そしてドイツ人の心の中にあるイメージを自分の中にも作り上げることができたなら、その人の日本語は、それまでよりいっそう、言葉に幅や深みを持ってるんじゃないかな。

この文章好きだーーー!ありがとう、なんだか元気出た。

そうなんだよね、言語は単なる意志疎通手段以上の働きをもっているよね。

4年生にして勉強不足を痛切に感じるけれど、まだかろうじて半期あるし頑張りたい。

やっぱり社会人になってからも細々続けたいなあと改めて思いました。

 

好きな百人一首か!私は少しだけ競技かるたをやっていたから、

つい意味よりも自分が速く取れる札で考えてしまうけれど

そうだなあ…

白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬき留めぬ 玉ぞ散りける

とか。ぱっと情景が頭に浮かびやすくて、かつ非常に美しいと思う。秋の歌だね!

むらいくんが好きなのは「つくばねの~」だっけ?

 

そして「日本語なんか話すのやめて~」と言ったむらいくんのご友人に対して反論するならば

日本語話すのやめる必要は別にないよね!!!と言いたい。

日本語好きかどうかは価値観の違いによるものだろうし、必ずしも母国語を好きでいなくてはいけない!ってわけではもちろんないけれど

固有の母国語を今日まで当然のものとして使用できていることの歴史的意義を考えると

言葉を道具としか見做していないようなそういう発言はとてもできないなあと思う。

でも私も帰国子女に憧れたことは何度もあるし、小さいころから英語圏で生活していたら今こんなに英語できない自分にコンプレックス抱く必要ないのに、とも思うから、完全に非難することはできない…。とりあえず私は日本語好きだよ。

 

グローバル社会の現代、その潮流はもう止まらない止められない。

英語ができない~~~とかその次元で留まっていてはだめなわけで。

そんなことをぼんやり考えていた矢先、我が家の郵便受けに講演会の案内が届きました。

JPIC YOUTH主催、NewsPicks編集長の佐々木紀彦さんの講演「世界で戦うためには何が必要か」。詳細は以下のURLからどうぞ。

http://jpicyouth.com/

10/15(日)にやるのだけれど、無料だし興味あるから行けたら行こうかなー。

講演聞くのはけっこう好き。去年12月にもJPIC主催で齋藤孝さんの夏目漱石没後100年記念講演があったから聞きに行ったけれど、面白かった。会場にいるひとみんなで漱石の文章を音読したりして。

漱石の日本語が今我々が使っている日本語の礎を築いたそうです。確かに漱石の文章は分かり易く美しい…。『こころ』読んだとき感動したもんなあ。夏目漱石の講演集もお気に入り。→私の個人主義 (講談社学術文庫)

 

そうだ、今週末会ったときに詳しく話すけれど

来月ドイツに行くことになりそう。

思い切りが肝心とはいうけれど思い切り過ぎたような気がしないでもない。

今回の旅で卒論で取り扱う作品の作者の故郷も訪れてみようかなと思っている…

 

更新ちょっと時間かかってしまったごめん!

アイコンは少々お待ちください~~~

あと名字+くん付けがなんとなく呼びづらいので愛称つけていいですか…

むらい…むらさん…むっさん…むーくん…むむむ…

いいのが思いつきませんでした。候補あったら教えてください。

 

今日はむらいくんから先日いただいたお米を昼食に食べる予定だよ!

炊いた感じピカピカつやつやで香りもとてもよかった…味もさぞ美味しいことだろう。楽しみ!!!

 

食欲の秋到来なわけですが、秋といえばスポーツに文化に色々捗る季節。

むらいくんがこの秋にしたいことは何ですか?

私は町歩きかな。

 

長くなってきたのでそろそろ締めます。

最近嬉しかったことは本を買ったときに図書カードの残額がギリギリ足りたことです。

ちなみに買った本はこちら。

ドイツ語エッセイ 笑うときにも真面目なんです (音声DL BOOK) 

面白いです。対訳がうれしい。

 

では。

 

 

 

のざわ

 

 前回の記事はこちら↓

 

nozawatomurai.hatenablog.com

 

 

【第五球目】合理性と情緒の戦い

そう、交換日記という性質上、筆者がころころ変わるからね、タイトルの球数が漢数字が算用数字かで区別ついたほうが分かりやすいよね!

(偶然だった)

 

国家の品格

国家の品格 (新潮新書)

人の記憶というのは簡単に色褪せるものですね、これを読んだ中学生(?)当時何を思ったのか思い出せない(のざわくん、お手数でなければ読書報告書の記録をこちらによこしてくれないか、)

改めてざっと読み返してみると、無機質な合理性・論理性よりも心の在り方を大事にしたいと思わせてくれるものだな。これを数学者が語るというところが逆説的。

 

これはむらいが小学生のときの話だが、友人が言い放った一言があまりにも衝撃的で、今でも覚えているものがある。ゆとり教育の最中で、英語の授業が小学校で行われ始めた時期のこと。

「将来仕事とかで英語必要になるなら、日本人みんな日本語なんか話すのやめて英語を話すようにしたらいいのに。」

そうじゃないんだよ、日本人なのに日本語なんかっていうなよ、日本語が廃れていいわけない…

友人に対して言葉にできない憤りを感じつつ、でも確かに友人の言う通りかも、、と心の一部でそう思ってしまったことは否めず、そんな自分にも驚いた。

これぞ合理性と情緒の戦い。かもしれない。

のざわくんなら、むらいのこの友人に対してなんと言って反論するだろうか?

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さて近頃は関東近辺はなかなかに涼しい日が続いていますね。

また暑い日が戻ってきたときの体調管理がミソですね。

冷やし甘酒がのざわくんに未知なるパワーをもたらさんことを。

 

 冷やしあめはwikipediaによると関西に広まっている暑気払いの飲料だそうですが、むらいは関東のどこかの駄菓子屋でも見たことあるぞ。。生姜湯みたいな感じ。甘くてピリッとさわやか、よきこと。

桜南 ひやしあめ (あめゆ) 190g 缶×30本

桜南 ひやしあめ (あめゆ) 190g 缶×30本

 

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最近考えていること、のざわくんは「社会人になってからもドイツ語を続けることについて」か

>「生きる目的以外で外国語を学ぶことの意義についてどう考えますか。あと日本語についてどう思っていること!どういうところが好きか~とか。」

この問いに対して。

 

言語というのは、抽象的なイメージを固定し、同じ言語を用いる他者とイメージを共有するものだと思うんだ。

同じ言語とはいえ、それを習得してきた背景が違うと一つの言葉について個々が持つイメージは多少異なり、その差異を許容するような柔軟性を持つ。

だからドイツ語を学習するときは、ドイツ文化やドイツ人の考え方も学ぶことになる。そしてドイツ人の心の中にあるイメージを自分の中にも作り上げることができたなら、その人の日本語は、それまでよりいっそう、言葉に幅や深みを持ってるんじゃないかな。

それで感動するのが百人一首。五・七・五・七・七の限られた言葉で、情緒豊かなイメージを想起させる。一つ一つの言葉が深みを持っていて、二重の意味を持たせることもある。単純に言葉の響きがいいところも好き。

のざわくんの一番好きな一首はなんですか?

 

p.s.のざわくんの描くアイコン、心待ちにしていますよ

 

今回は変に深夜テンションが入って硬めな内容になってしまった、でも考えるのは楽しかった

むらい

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前回の記事はこちら↓

nozawatomurai.hatenablog.com

 

【第4球目】窓を増やす

なるほど…

タイトルの投球数を、むらいくんは漢数字で私は数字で書くことにより

ひとめでどちらが書いたかわかるというやつですか!?

(偶然かもしれない)

 

お役立ち情報がちょいちょい挟みこまれたむらいくんの記事おもしろいよ。

あと読んでいたらお腹がすいた。

 

メールボックス探したら読書報告見つかったよ!むらいくんは

 

国家の品格 (新潮新書)

国家の品格 (新潮新書)

 

 これ読んでたよ。

また神保町で古本めぐりしたい!普通に今使える料理本も欲しい。

 

甘酒さっそく買って飲みました。夏バテこれでどうにかしたい。

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私けっこうな甘酒好きなんですけれど、どうも冬に飲むイメージ強くて。

冷やし甘酒の存在は知りつつ、夏はあまり飲んでいませんでした。

冬はね、色んなところの酒粕買って作って飲んでいるのだよ。

甘酒!飲む点滴!

家族で私以外飲むひと少なそうだから1リットルのパック買うのはちょっとためらってしまった…。

冷やしあめはご存知ですか?私はあれもすきー。こっちじゃあまり見かけないけれど…。

 

最近考えていることはね、「社会人になってからもドイツ語を続けることについて」かなあ。この前会ったときにもちょっと聞かれたね!

ドイツ語続けてその先どうしたいかというはなし…。

そのときはドイツ語使って仕事したいとか答えたけれど、実際のところそこまで切実にそう思っているわけでもない。ドイツに永住したいかと聞かれると…うーーーーん。

やはり言語獲得の最たる動機ってやっぱり「生きるため」なんじゃないかなあと思う。見知らぬ土地へ行って、その地で流通している言語使わなきゃ生きていけないってなったら否が応でも必死に勉強するし、身につくスピードも速いと思う。

自分の視野を広げるため、自分の中の窓を増やすために言語を学びたいっていうのは

なんというか…大変恵まれたことではあるけれど、趣味の範疇を出ないんだよなあ。

母国語だけで生きるのに不自由しないことの幸せと、その言語世界に安住してしまうことの問題についてよく考えるよ。

…いや、そんな御託並べてないで地道に努力しろと。やらない言い訳を考えてばかりでだめね。

 

でもむらいくんの考えも聞きたい!生きる目的以外で外国語を学ぶことの意義についてどう考えますか。あと日本語についてどう思っていること!どういうところが好きか~とか。ふわっとでいいよ!

 

p.s.アイコン描いてみようかな…(´▽`)

 

 

今日は祖母宅と自宅を5往復しました

のざわ